インタビュー

比べると見えてくる、絵画の奥行き。

05/17 2024

比較鑑賞は、美術館での鑑賞体験をより深めるための方法のひとつ。複数の作品をじっくり照らし合わせながら見て、共通点や相違点を探してみる。するとそれぞれの特性が浮き彫りになり、一歩踏み込んだ見方ができるようになります。芸術学者の布施英利さんに、「ポーラ美術館で比較鑑賞を楽しむなら」というテーマのもと選んでいただいたのがクロード・モネとポール・セザンヌの絵画。同時代を生きた二人の画家は「両極端と言えるほどにスタイルが違う」という布施さん。違いを見つめたときに、浮かび上がってくるものについて、お話を伺いました。

 

text: Yasuko Mamiya

photo: Akira Kitaoka

布施英利(ふせ・ひでと)

1960年群馬県生まれ。芸術学者、美術批評家、解剖学者。東京藝術大学大学院博士課程終了後、東京大学医学部助手として養老孟司氏の下で解剖学を学ぶ。現在は東京藝術大学美術学部芸術学科教授。主な著書に、『人体 5億年の記憶』『洞窟壁画を旅して』『養老孟司入門』『脳の中の美術館』『死体を探せ!』などがある。

同時代を生きながら、両極にいたモネとセザンヌ

編集部

布施さんにはポーラ美術館の収蔵作品から、“見比べ”の対象となる作品をピックアップしていただきましたが、モネとセザンヌを選ばれた理由を教えてください。

布施

モネは印象派、セザンヌはポスト。美術史上は違う括りとなりますが、一般的にはモネもセザンヌも同じく印象派、というイメージがあり、共通点の多い画家としてとらえられているのではないでしょうか。作風は違いますが、塗り残しがあったり、筆の跡が残っていたり、場合によっては形が歪んでいたりして。細かいところまできっちり描き込んでいない、という点が共通しているんですね。でも僕の絵画の見方からすると、彼らの作品は両極端。共通点があるようで、全く違う。だからこの二人の作品を比較すると面白いんです。たとえば今日ポーラ美術館で実物を鑑賞した(*1)モネの《散歩》とセザンヌの《砂糖壺、梨とテーブルクロス》。これらは風景画と静物画という違いはありますが、それぞれの画家の特徴が表れていて、見比べてみると多くの違いに気付くことできます。

*1 ポーラ美術館 コレクション選「西洋絵画 印象派から20世紀前半のフランス絵画」(2023年12月16日〜2024年5月19日)にて鑑賞

クロード・モネ 《散歩》 1875年 ポーラ美術館

ポール・セザンヌ 《砂糖壺、梨とテーブルクロス》 1893ー1894年 ポーラ美術館

編集部

モネのほうが明るく、セザンヌはやや暗い印象があります。

布施

そうですね。モネの絵は光が降り注いでいる。まずその点について、話をしたいと思います。モネは“光”を描いた画家として知られています。一方で、セザンヌは“もの”を描いている。果物や、砂糖壺という塊を。モネの絵の中にも木は存在しますが、そこには手触りがないというか、重さが感じられない。それは塊ではなく、光をとらえているからなんですね。ルネサンス以降、画家たちは見たものを見たままに表現することに力を注いできました。それをやりきったのが、モネだったんです。

編集部

印象派は、見たものを見たままに描く写実主義とは対極にあるように思えます。おぼろげなモネの絵が、目に映ったものを忠実に描いているというのは不思議な気がしますが……。

布施

モネの絵は、ダ・ヴィンチやレンブラントとは違い、見たままに描いているようには思えないかもしれません。しかし、モネが探求したのは、人間の目は何を見ているかということ。目で見たものを脳で情報処理して別のイメージを作るのではなく、網膜に映ったものをそのままとらえようとした。耳は音だけを聞いているのに対し、目は光だけを見ている、と言えばわかりやすいでしょうか。

 

モネが太陽の下で光を描いたのは、チューブ入り絵の具の登場という美術の歴史における革命が関わっていることも見逃せません。今でこそ絵の具は簡単に持ち運びできるものですが、1870年代にチューブ入りのものが出てくるまでは、絵の具を持ち運ぶ手段がなかった。外でスケッチして、アトリエで仕上げていたんですね。それに対しモネは、外にイーゼルを立てて、実際に風景を見ながら描くことができたんです。

編集部

光を見て、その印象をそのまま描いた。だからどこかおぼろげなんですね。

印象派に反発して生まれた、新しい表現

布施

光の印象を描いたモネのことを、セザンヌは「モネは眼にすぎない、しかし何と素晴らしき眼なのか」と評した。モネほどに “目”を極めた画家はいないと感嘆していますが、人間がものを見る時には、目玉だけでなく脳も使う。歩き回って空間を感じ、触って重さを確かめ、目で見たもの以外のことまでもキャンバスに描き込むべきなのに、モネの絵にはそれが表現されていないと、セザンヌは考えていました。《砂糖壺、梨とテーブルクロス》で描かれているのは、明らかに光ではないですよね。セザンヌが描こうとしたのは、目に映った像ではなく、ものを見たときに感じる“重さ”なんです。セザンヌの《プロヴァンスの風景》は風景画ですが、モネの《散歩》とは違い、草木という塊の重さや手触りを感じませんか。ルネサンス以降の、見たものをありのままに描写する絵画をモネが極めた。セザンヌはそれに反発するように、180度違う表現を始めたんです。

ポール・セザンヌ 《プロヴァンスの風景》 1879ー1882年 ポーラ美術館

編集部

光ではなく存在するものを描いた、ということでしょうか。

布施

それだけではありません。みなさん、絵画を見る時は真正面から見ますよね。もしくは、寄って細かいところを見て、また離れて全体の構図を見るとか。でもセザンヌの絵をみる時は、近づいたり離れたりするだけではなく、視点を変えながら絵の周りを動き回って見てください。視点を変えると、印象がずいぶん変わってくるんです。たとえば《砂糖壺、梨とテーブルクロス》も、正面から見ると机は歪んでいるし、砂糖壺や果物の位置関係もよくつかめないのではないでしょうか。それが、右斜めから見てみると机は平行になり、果物と砂糖壺が奥に向かって一直線に並んでいるように見えてくるんです。おそらく、セザンヌはこの机を描いた時に右斜めから描いていたのでしょう。セザンヌの絵は、一見不思議。でも角度を変えて見ると、完璧に正確な形をしているんですよ。砂糖壺はおそらくまた違う角度から見ていて、斜め上から視線を向けるとより丸く見える。つまりセザンヌは、複数の視点から見たものを、一枚の絵の中に合成して描いているんです。それにより空間の奥行きや、もののずっしりとした重さを表現した。ピカソの絵は、横向きの顔に、正面からとらえた目をくっつけていたりしますよね。それもセザンヌの手法と同じ。ただ、ピカソの作品ではいくつもの視点から見た画を組み合わせていることがわかりやすいけれど、セザンヌの作品はパッと見るだけではわからないんです。

編集部

セザンヌは独自の手法を生み出し、ピカソをはじめとする芸術家たちに影響を与えたんですね。

布施

そうです。絵画の理論もちゃんとおさえているんですよ。色には遠近感を生み出す効果があり、赤や黄色は手前に飛び出し、青や緑は後方にあるように見えます。作品の中の果物を見ると、セザンヌが色で遠近感を表現したことがよくわかる。理論を守りながら、それまでの画家たちとはまったく違うことを試みたんですね。机の上に置かれた果物を、ここまで再現している画家はいないのではないでしょうか。写真どころではないリアリティを感じられる。人間の一番本質的なものの見方を発見した、千年に一度いるかどうかの類稀なる画家だと僕は思っています。

光の画家から、色の画家へ

布施

モネとセザンヌの表現は両極端であるいうことを前提にお話してきましたが、モネの作品は前期と後期で変化があって、後期は少しセザンヌに近づいた部分もあったんですよ。

編集部

どういうことでしょうか。

クロード・モネ 《セーヌ河の日没、冬》 1880年 ポーラ美術館

布施

これは僕の持論ですが、モネは1879年に奥さんを若くして亡くし、それを境に世界の見方が変わったと思うんです。というのも彼は、死にゆく妻を見ながら、その姿を絵に描いていたんですね。冷酷な人だと思われるかもしれませんが、まあ、夫としてではなく、画家としての目が勝ってしまったんでしょうね。モネがその時描いたのは、奥さんの顔色が変わっていくプロセス。顔色というのは、光を反射した色ではなく、体の中から出てくる色。それをまじまじと見たことが、彼の作品のポイントになっていったのかと。

編集部

奥さんの死後、光ではなく、色を描くようになったと。

布施

そのように思えるんですね。《印象、日の出》という、印象派という呼称のきっかけにもなったモネの代表作と、ポーラ美術館が所蔵している《セーヌ河の日没、冬》を比べると分かりやすいのではないかと思います。どちらも水辺を描いた作品で、空にオレンジ色の太陽があって。描かれているものは非常に似ているんですが、前者は手で触った感触がないんです。後者は、木や陸の存在感があり、水に映る夕焼けの赤も、光というよりは池を染めている色に見える。それが、奥さんが亡くなったあとの作品に見られる変化です。

 

先ほどお話しした《散歩》も、奥さんの生前の作品で、やはり「眼にすぎない」といえる。モネは光の画家と呼ばれましたが、奥さんの死という大きな出来事を経て、色の画家になったのだと僕は考えています。ポーラ美術館にはほかにも《睡蓮》や《ルーアン大聖堂》といったモネの作品がありますが、それらも奥さんの死後の作品。モネの絵を見る時は、1879年以前に描かれたのか、後なのか、という点に注目して鑑賞するのも面白いかと思います。

クロード・モネ 《睡蓮》 1907年 ポーラ美術館

クロード・モネ 《ルーアン大聖堂》 1892年 ポーラ美術館

編集部

モネとセザンヌ、そしてモネの前期と後期の作品の比較についてお話しいただきましたが、比べるということは、作品を細かいところまで観察することにもなりますね。

布施

コントラストにより、それぞれの個性も明確になってきます。一度それが見えたら、作品の魅力をより深く味わえるようになりますよ。