インタビュー

ピカソが私に教えてくれたこと #1 布施琳太郎(アーティスト)

12/07 2022

巨匠と呼ばれる以前のピカソが描いた、青色を基調にした作品の数々。後に、青の時代と呼ばれる20歳頃のピカソを原点にした展示「ピカソ 青の時代を超えて」が、2023年1月15日まで開催中です。

 

青色を象徴的に用いながら、iPhoneのディスプレイや絵画、映像などさまざまな媒体で表現をするアーティストの布施琳太郎さん。「大学時代に青の時代に影響を受けているの?と先生から聞かれたこともあります」と話す布施さんに、本展示を鑑賞いただき、感じたことや考えたこと、疑問に思ったことを担当学芸員・今井敬子に投げかけてもらいました。ふたりの対話から、ピカソの軌跡を辿っていきます。

布施琳太郎(ふせ・りんたろう)

アーティスト。1994年生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業、同大学院映像研究科後期博士課程在籍。iPhoneが発売されて以降の現代における「新しい孤独」をテーマに、映像や絵画を中心として幅広いメディアを用いて制作。自身が企画・展示した展覧会に、2022年「新しい死体」(パルコミュージアムトーキョー)、「惑星ザムザ」(小高製本工業跡地)、2021年「沈黙のカテゴリー」(名村造船所跡地[クリエイティブセンター大阪])、2020年「隔離式濃厚接触室」(オンライン上にて実施)などがある。「美術手帖」、「現代詩手帖」などへの寄稿をはじめ、執筆活動でも注目を集めている。

今井敬子(いまい・けいこ)

ポーラ美術館 学芸課長。上智大学文学部フランス文学科卒業、ルーヴル美術学院学士課程修了、パリ第4大学ソルボンヌ考古学美術史学科修士課程修了。専門はフランス美術を始めとする20世紀美術。おもな担当展覧会は「ピカソ 5つのテーマ」(2006年)、「アンリ・ルソー パリの空の下で」(2010-2011年)、「紙片の宇宙 シャガール、マティス、ミロ、ダリの挿絵本」(2014-2015年)、「ピカソとシャガール 愛と平和の讃歌」(2017年)。

「青の時代」の絵には何かがうごめいている?

布施

展示室で作品を見て、青の時代は構図にしても人物の体の動きが内側にぎゅっと向いているな、と思いました。反対に、のちの新古典主義の時代では、浜辺を描いていたりすることもあって画面の外に視線が向いていくような印象を受けました。今回、なぜ青の時代に焦点を当てようと考えたのですか?

今井

他の時代のピカソの作品に比べて、青の時代の絵には何かがうごめいているという印象を強く持っていたんです。実際、絵の表面も凸凹していて、完成した絵の下には他の絵が隠されていることもわかっていて。その隠されているものに近づきたい、知りたい、というのが展覧会を企画した一つの原動力になっているんですよね。そこで本展では、特に青の時代に見られる「塗り重ね」に着目しました。ピカソは友人が描いたカンヴァスを持ってきて、その上から自分の絵を描いていることもあるんですよ。

布施

えっ、ピカソが勝手に誰かの作品の上に描いてしまったんですか。

今井

きちんとわかっていないところではあるのですが。青の時代から10年以上たった頃の有名なエピソードとしては、モディリアーニの作品の上から描いて、こう描き直してやったぞ、とピカソは言ったそう。

布施

展覧会では、《海辺の母子像》の下に何度も異なる人物が描かれていたことも紹介されていますね。以前、同じく箱根にある彫刻の森美術館のピカソ館を訪れた際に、版画のシリーズがずらっと並んで展示されていたのを見たことがあるのですが、形態が少しずつ変化していく過程がよくわかるものでした。描き直し続けることで形が変化することに関心があるようにも思えたり、想像力を解放するためになぞる運動をしているようにも見えたり。でも一方で、何かを隠したかったのかなとも思ったりもしました。

今井

ピカソのデッサンには、晩年の「草上の昼食」のシリーズのように、パラパラ漫画のような連続性をもって少しずつ動いていくようなものが無数にあります。若い頃には自分は「デッサン工場」だと言って、紙に余白がなくなるくらいに描いていたりもしていて。ピカソは1900年頃に本格的に油彩画の制作へと向かうのですが、その時期と隣接するように青の時代が始まると考えられます。油彩を日常的に扱うようになったから、手持ちの数量が限られたカンヴァスを使い回すという行為が見られるようになる、と。

布施

なるほど。既に何か描かれているカンヴァスを使う際に、青は比較的カバー力のある色だと思うので理にかなっているようには思います。でも、金銭的な事情以外にも青色で描いた理由はあるはずですよね。

「青の時代」の絵画作品の光学調査が明らかにしたピカソの制作の軌跡を、映像で紹介する“青の時代ラボ”にて

今井

青の時代がはじまる数カ月前に、ピカソは赤や黄色などのヴィヴィッドな色彩を効かせた絵画をパリの画廊で発表してかなり評判になったのですが、またたく間に画題も色調も変わっていき、青く陰鬱なテーマを描き重ねていく。とにかく“変えたい”衝動が強かったのでしょう。青の時代は、単純に青という色に惹かれていたということもあるでしょうし、青色を用いると室内とも屋外とも捉えられる曖昧な空間をつくりやすかったという仮説も立てられます。どれが大きな理由だったのか……。

布施

すでに解明されているわけではないのですね。

今井

ええ、でも一般的によく言われるのは、象徴主義の思想が芸術の中で広まった時代だったので、ピカソもその影響を受けたのではないかということ。だから哀しみを象徴する青色を選んだということですね。これはある意味、ピカソが時代の流れに沿ったという考え方ですけれど、それだけではない何かが隠されているように思えてなりません。それに、ピカソの制作のあり方というものが青の時代に徹底的に変化したのではないか、とも。

ピカソが「青の時代」で描きたかったものとは

布施

20世紀はマテリアル(物質)に絶対的な信頼があった時代ではありますが、一方でピカソは、本人でさえ忘れてしまうような、落ち込んでいるとか笑っているとかの心の機微や、描かれなければ失われてしまうようなものを絵画の上に載せているのかな、とも感じました。青の時代というのは、社会から目を背けられていた人だったり、あるいはその人たちが持っている感情的なものや眼差しだったり、本来は残らないはずのものを描いているような気もします。

今井

そうですね。当時のピカソは、社会から置き去りにされた人たちを憐憫の眼差しで描くのではなく、「そこにいる」という実在感を描いていました。そのテーマの選択自体は、絵画の市場で生き残る条件からは完全に外れているんですけれども。なぜこのようなモチーフを選択したのか? どうして暗い色で描いたのか? と振り返ってみると、ピカソを取り巻く環境とは合致しない、孤独な姿勢がきわだってくるんです。実際に、ピカソ自身も青の時代を「センチメンタルな時代だった」と回顧しているのですが、何度も繰り返し絵を描きながら、ピカソはもがいていたようにも見えます。

布施

僕はパリのピカソ美術館を何度か訪れたことがあるのですが、そのときに作品から感じたことを覚えていて。ピカソは想像力豊かで自由な画家と評することができる一方で、何かの影響を受けやすい画家だったんじゃないかな、と。新古典主義が興って、シュルレアリスムが勃興してくる時代のなかにあって、同時代の芸術の動向からもインスパイアされるし、スペイン、フランス、イタリアなど各国の独特な画風とか、伝統的なもの、非西洋圏の芸術からも影響を受けていると思いますし。

今井

そうですね、ピカソと恋愛関係にあった女性たちの話も有名ですが、妻のオルガ、恋人のマリー=テレーズやドラ・マール……と、それぞれの女性の影響で作風が変化しているということも言われますね。もちろん芸術家たちとの交流も大切で、たとえばジョルジュ・ブラックと出会ったのちは、二人の制作が近づいて、どちらの作品か見分けるのが難しい時期もありました。

完成した絵の奥にあるもの

布施

会場のつくり方としては、地下2階の展示室に建て込みをしているのが印象的でした。垂木(たるき)が組まれた空間の内部に、ピカソのドキュメンタリー映画『ミステリアス・ピカソ 天才の秘密』が映し出されていて。2022年3月まで開かれていた「モネ−光のなかに」展(会場構成:中山英之)の空間もすごく凝っていましたが、ポーラ美術館では空間構成にも力を入れているのでしょうか。

今井

垂木を組んだ小屋のような空間づくりは、トラフ建築設計事務所に依頼したのですが、実は『ミステリアス・ピカソ』の撮影の雰囲気を出したいと考えました。ピカソが、映画撮影用のスタジオで垂木のようなものを組んで、シネマスコープの比率のサイズにカンヴァスを切って貼り、仮設の空間でタバコを吸いながら描いたという、そんな“制作の現場感”を演出したかったんです。一方で、南仏の海小屋のような開放的なイメージもあります。また、ピカソは板切れなどを組み合わせて立体を制作する彫刻家でもあったので、木工作業やブリコラージュのような雰囲気も出せたらいいな、と考えました。

木材を組んで建てられた空間。内部では映画『ミステリアス・ピカソ 天才の秘密』が投影されている

布施

なるほど。小屋の外側の壁にかけられていた《ラ・ガループの海水浴場》は東京国立近代美術館が収蔵する作品ですが、本展では異なる見せ方をしているのでがらりと印象が違って見えました。展覧会全体を通して、特に国内の美術館の収蔵作品は見たことがあるものも多かったのですが、一つの場所に集めて違う方法でアプローチすると見え方が変化するのは面白いですね。

今井

そうですよね。あの空間では、絵を見ながら、映像をとおして動いているピカソ、そしてその場にいるかのようなピカソの姿を目撃してもらいたいと思ったんです。完成している絵の奥にはいろんなことがうごめいている、と。概してピカソには、天才にしか持ち得ない閃きによって絵画に革命を起こした「キュビスムの画家」といったイメージがあるかもしれないけれど、青の時代から戦後の制作にかけて、つねに絵画との格闘があったのだということを伝えられたら嬉しいですね。

布施

ええ、僕は展覧会を見て、ピカソは自分自身が驚き続ける方法論を見いだそうとしていたのではないか、と想像しました。もちろん一枚の絵に立ち会うのも楽しいですが、いくつもの作品を通して見るからこそ得られることがありそうです。

ピカソの「描き直す」執念に学ぶこと

布施

ピカソの研究において、まだわかっていないことは多くあるのでしょうか。

今井

ええ、たとえば、ピカソがバルセロナで描いたとずっと言われ続けてきた《海辺の母子像》という作品があるんですが、ここ3年ほどで、実はパリで描かれたということが判明したんですよね。

布施

そういう段階でもまだわからないことがあるんですね。

今井

そうなんです。ピカソと実際に対面した研究者が、制作地をバルセロナとしていたのにも関わらず、です。ですからやっぱり、作品自体を詳しく調査するとともに、制作された背景の正しい情報の在処をきちんと調べなくてはならないということが身に染みてわかりました。謙虚に専門家に教えてもらったり、助けてくれる人を探したり。それが、ピカソを開いていくことへつながるんだと思います。布施さんにも、この展覧会がきっかけで何か発見してもらえるかもしれないですし。

布施

僕の場合は、研究や言葉でのアウトプットにはならないかもしれませんが、自分の作品に反映されることがあるかもしれませんね。僕たちは今、歴史というものが丸ごとなくなってしまいそうな危うい時代にいる気がするので、どんなかたちであれ、過去に生きていた人たちを忘れないために一つひとつやっていきたい。そういうことを連綿と続けていかないとならない、とも思います。

今井

とても頼もしいです。ピカソが《ラ・ガループの海水浴場》を描いているときの言葉があるんですよ。どんどん絵がひどくなる、とつぶやきながら描き続け、奥底に、これが見せたいんだ、驚くべき真実が井戸の底にある、と言います。その一方で、自分がどうしたいかわかったから次の絵を描こう、とも言う。そういう執念というか、最後まで手探りを続ける執拗さ。ピカソの生きざまから何かを感じ取ってもらえたらいいな、と思っています。

布施

『ミステリアス・ピカソ』の映像を見てもわかることですが、ピカソは、描き込むというより「描き直す」ことを何度も繰り返し行っていますよね。そんな描き方をする人はなかなかいないなと、やはり圧倒されます。嫉妬するほどの、ピカソの制作に対する執念ですよね。展覧会を通して、自分とは関係のない人では済まされない、学ぶべきところがあることを改めて考える機会をいただきました。