箱根の森に溶け込む、建築空間を探訪する。
富士箱根伊豆国立公園内にあり、周囲の自然を間近に感じながらアートに触れることができるポーラ美術館。「箱根の自然と美術の共生」をコンセプトに、環境に寄り添うよう建てられた建築には、太陽の光を感じ、森と共存するための様々な工夫が施されています。
1994年末から5年がかりの設計では、敷地内の植物生態系や地形、地質、水流の徹底した調査に始まり、できる限り自然環境に影響を与えないために、必要な時間が費やされました。その結果、建物は木々よりも低くなるよう8メートルの高さまでに抑えられ、森に姿を隠すように佇んでいます。地上2階から地下3階まで、ほとんどの美術館としての機能を地下に備えるにも関わらず、美しい森の緑と優しい光を余すことなく感じることができる空間は高い評価を受けています。
2002年5月の開館以来、多くの人に親しまれてきたポーラ美術館の建築の魅力、楽しみ方などを、建築評論家の五十嵐太郎さんに聞きました。
五十嵐太郎(いがらし・たろう)
1967年フランス・パリ生まれ。建築史家、建築評論家。2009年から東北大学大学院教授。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2008日本館コミッショナーを務める。著書に『世界の名建築歴史図鑑』(エクスナレッジ)、『建築の東京』(みすず書房)ほか多数。
ポーラ美術館が設計・施工された90年代中頃から2000年代初めの、建築業界の状況、潮流について教えてください。
日本では80年代の好景気からバブルとポストモダン(※1)が重なり、オブジェのような造形美で、鮮やかな色使いの建築が見られるようになりました。例えば、燃え盛る炎を金のオブジェで形象したフィリップ・スタルク設計の浅草「フラムドール」(※2)なども、当時を象徴する建築物です。
ポストモダンの建築にはとにかく目立つものが多かったのですが、ポーラ美術館がつくられた90年代の半ば頃にこの状況は変わります。当時はポストモダンの反動によって、次のモードを探して建築の潮流が変化し始めた時期。ガラスを使ったモダニズム建築(※3)なども復権してくる流れがありました。建築自体を地下に埋めて隠すようなポーラ美術館のデザインも、もちろん、ひとつに国立公園の中にあることでの制約から高くできなかったという理由もありますが、結果的に、建築の姿を控えめにしていくような動きとも連動しています。
90年代後半から2000年代になり、透明性を求めた建築がさらによく見られるようになりますが、ガラスの大空間が特徴的なポーラ美術館の建築は、その転換点となっていると言えるでしょう。
同じように海外でも、建築の存在感を無くしていくような動きがあったのでしょうか?
90年代前半にドミニク・ペローが設計して、パリのセーヌ河沿いに建てられたフランス国立図書館(※4)も、多くの機能を地下の見えないところに埋めて、地上にL字型のガラスの塔を4つ建てるという象徴的なものでした。このようなポストモダンからガラスの建築への移行というのは、世界的にも起きていたことがわかります。
もう少し前の時代の美術館は、石貼りで丘の上の神殿のような格調の高さを全面に打ち出すデザインが多かったので、それに比べるとポーラ美術館は、周囲の自然を取り込んでいくという違うタイプの、明るく開放的な美術館と言えますね。
自然との共生を叶える、ユニークな構造。
五十嵐さんが足を運ばれた際の、第一印象を教えてください。
最初に訪れた時には、外からは想像がつかないような空間の展開をするので驚きました。バス停のある通りから美術館のエントランスまでの細いブリッジを渡ると、突然目の前の視界がさっと開けて、上からの光を導く大きな吹き抜けのロビー空間にたどり着く。そのような緩急のあるシークエンス、劇的な空間演出は特に印象的でした。
この吹き抜けの大空間からは、地下にあるカフェまでが一度に見渡せて、大きなガラス越しに森の木々が見えます。エントランスから、建物全体の空間のイメージが把握しやすいつくりになっているのもいいなと思いました。展示室は閉じていますが、それ以外の部分は開けていて、周りの自然の環境が存分に取り込まれています。
「箱根の自然と美術の共生」というコンセプトを、どのような考え方で昇華していますか?
美術館は国立公園の中にあって、なるべく自然の環境や風景に影響を与えないように設計されています。お椀状に直径74mのコンクリートの土台を埋めて、その土台の上に耐震ゴムを設置し、十字型の建築を浮かせた構造が特徴的です。
下のお椀の部分には、建築のなかでもデザインというより土木の分野に近い、大掛かりな作業が施されています。構造的に浮かせることで、揺れを吸収する免震の効果を出す、工学的な技術が突き詰められていると言っていいでしょう。館内に置いてある模型を見ると、お椀に十字が浮いている構造が、よりわかりやすく理解できると思います。
「用・強・美」を叶えた総合芸術。
構造的なことが、美術館のデザインの大きな特徴になっているのですね。
一方で、美術館として美しくなくてはなりません。「用・強・美」と言いますが、建築では、美しさと強さと使い勝手の要素がうまく組み合わされていることが大切ですが、ポーラ美術館はその結晶と言えると思います。エンジニアリングと意匠的なデザインをこれほど高いレベルで統合させるのは、なかなかできないことです。
ただ美しいとか、ただ工学的であるというだけでなく、他にも様々な要素が合わさって建築は完成します。美術館を設計したのは日建設計というスーパー設計集団で、当時若手の安田幸一さんがチーフを担当しました。日建設計とポーラにはつながりがあって、70年代に建てられたポーラ五反田ビル(※5)も彼らが手掛けています。ですから、その頃からの培われてきた信頼関係があってできた建築とも言えます。
実は、ポーラ美術館の建築は、著名な賞をいくつも取っています。デザインや設計面での評価では、日本建築学会が出す日本建築学会賞の作品賞を受賞しました。これは日本の建築界で、最も重要とされている賞なんです。その他にも、設計者、施主、施工者の3者がいい関係を持って、良い建築を作っているかが評価されるBCS賞にも選ばれました。建築というのは、いいクライアントがいてこそ始まりますし、デザインだけでなく、いろいろな技術が総合的にうまく合わさらなければ完成されません。
見逃せない、デザインの注目どころ。
一般的な美術館建築においてポーラ美術館が特異な点、来館者が注目すべきポイントがあれば教えてください。
展示室のコンクリートの天井にヒダが入っているのは珍しいですね。可働壁のトップから天井に向けて光を放つと、ヒダが反射して光が拡散するという演出も、装飾性と機能性を組み合わせたとてもユニークな展示空間のつくり方だと思います。上からのファイバー照明も現在は浸透してきていますが、これを20年前から取り入れていたのはかなり早かったと思います。
吹き抜けロビーの壁一面にガラスを積んだ、高さ20メートルの「光壁」も圧巻ですね。これは通常、石やレンガを積んで重いイメージになる組積造を、軽く透明に仕上げるという独特な壁になっています。日中には光の射し込み方によって繊細に表情を変えるスクリーンのようです。夕方から夜になるとガラスに縦に仕込まれたライトによる美しい光の造形を見ることができます。
美術、建築、自然を余すことなく。
美術鑑賞と建築鑑賞をクロスオーバーして楽しめるところはありますか?
1階レストランの横のテラスに置かれた青木野枝さんの野外彫刻(2013年度設置)は、ロビーから吹き抜けを見た時、そこに彫刻があることで、テラス空間をより意識する効果が出ていて、建築と美術の両面を楽しめるポイントになっています。展示空間では、地下2階フロアの展示室5の常設展示。壁の展示ではなく、工芸品向けの什器が最初からデザインされて用意されており、展示的にも空間的にもぴたりと決まっているなと思いました。
建築家の中山英之さんによる『モネ-光のなかに』での会場構成や、同じく建築家の津川恵理さんによる迷路のようなチケット売り場のパーテーションなど、若手による提案を取り入れた最近の試みも面白いですね。
ポーラ美術館は、自然環境の中で美術や建築を楽しむ体験としても、とてもユニークです。光のコントロールを含めた意匠的な空間の美しさに加え、土木・設備的な部分にも着目して、建物の下に続く散策路から森と建築の両方を楽しんでもらうのもいいと思います。
*1 ポストモダン
ラテン語のpost(afterの意)とmodernから成り、近代の発想を超えようとする思想運動。20世紀中盤から後半にかけて、機能主義、合理主義を重視したモダニズムの建築様式への反動として生まれた。
*2 フラムドール
フランス語で「金の炎」の名称を持つ、アサヒビールのビアレストラン。1989年、浅草の隅田川沿いに、創業100周年を記念して建てられた。屋上のオブジェは「新世紀に向けて躍進するアサヒビールの燃える心の炎」をイメージしたもので、長さ44メートル、重量360トンという巨大なスケール。
*3 モダニズム建築
近代建築とも呼ばれ、19世紀、産業革命以降に発展した、鉄やガラス、コンクリートなどを素材とする、合理的でシンプルな建築スタイル。ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パビリオン(1929)、ル・コルビュジエのサヴォア邸(1931)、日本では丹下健三の国立代々木競技場(1964)などに代表される。
*4 フランス国立図書館
1995年、パリ13区の再開発地区に竣工。半地下の中庭のある閲覧室を囲むように、4隅に書庫の機能を持つL字型のガラスの塔が建つ。当時、ミッテラン大統領により提唱された「パリ・グラン・プロジェ(パリ大改造計画)」の最後のプロジェクトであり、フランス出身のドミニク・ペローの案が国際コンペティションで採用された。
*5 ポーラ五反田ビル
日建設計の林昌二が設計し、1971年に竣工したポーラの本社ビル。「クリスタル・ロビー」と呼ばれる総ガラス張りのロビー空間が、周囲の環境や緑を取り込むデザイン。BCS賞、グッドデザイン賞、設計では日本建築学会賞作品賞を受賞。