ポーラ美術館の名作絵画
会期
2023年1月25日(水)~2023年7月2日(日)
会場
展示室2
印象派と旅
19世紀のフランスでは、交通機関が飛躍的に発展しました。鉄道が敷設され、人々は休日に都市から自然豊かな郊外へと移動し、海水浴、川でのボート遊びや森の中でのピクニックなどといった余暇(レジャー)を楽しむ習慣が生まれました。
印象派の画家たちもさまざまな国や地域を旅して、絵画を制作しています。屋内のアトリエから飛び出した画家たちは、天候、時間など移ろいゆく光のなかで眼前の風景を明るい色彩とすばやいタッチによって描きとどめました。
スーラのノルマンディー、セザンヌとゴッホのプロヴァンス、モネのヴェネツィア、ルノワールのアルジェリア、ゴーガンのタヒチ…。画家たちが各地で見つめた風景と光をご紹介します。
戦後の抽象絵画
第二次世界大戦後の約10年間、世界のアートシーンでは抽象絵画の運動が盛んになります。この抽象への指向は、とりわけフランスを中心とするヨーロッパでは「アンフォルメル」、アメリカでは「抽象表現主義」と呼ばれました。アンフォルメルは「非定形なもの」という意味です。この言葉は、フランスの批評家ミシェル・タピエによって1950年に名づけられ、この運動の中心となった美術家たちは、これまでの美学を棄て「もう一つの芸術」を創ろうとしました。これまでの抽象が与えてきた構成的、幾何学的なイメージを脱却し、理性では把えられない意識下の心の状態から生み出されるものを表現しようとしたのです。タピエは、日本で同時多発的に生まれたアーティスト・グループ「具体美術協会」の活動を日本版アンフォルメルとして海外に紹介し、フランス発の抽象絵画ブームが世界中に広まっていることをアピールしようとしました。
一方、第二次世界大戦で戦禍を被ったヨーロッパを脱し、アメリカに渡った美術家たちの中から生まれた抽象表現主義の絵画は、具体的な主題やモティーフの描写から離れ、色彩によって輪郭のぼやけた開放的な形態を構成し、その色彩を与えるための画家の行為やプロセス、メディウムが画面上に残されることを大きな特徴としています。
レオナール・フジタ ― 乳白色の肌
レオナール・フジタ(藤田嗣治)の到達点である「乳白色の肌」は、和紙の白さをそのまま肌の表現とする浮世絵の手法を参考に、カンヴァスの全面に白色を塗り、その上に繊細な黒の輪郭線や柔らかな陰影を施して女性の肌を表現したものです。そのカンヴァスは、シャツなどに使われる目の細かい布を張った手製のものであり、白い下地にはタルク(あるいはタルクを含むシッカロール)を混ぜ込むなどして、芸術の都パリを熱狂させた透明感あふれる乳白色を生み出しました。そしてその乳白色に命を吹き込んだのが、面相筆によって描かれた墨の輪郭線であると言っても過言ではありません。
輪郭線について、フジタは次のように記しています。「線とは、たんに外廓を言うのではなく、物体の核心から探求されるべきものである。美術家は物体を深く凝視し、的確の線を捉えなければならない。そのことが分かるようになるには、美の真髄を極めるだけの鍛錬を必要とする」(藤田嗣治「線の妙味」『随筆集 地を泳ぐ』講談社、1984年)。
つまり、フジタが裸婦の美の真髄に到達するために選んだのが、面相筆による繊細な墨線だったのです。またその輪郭線の外側にみられる後光のように輝く白と、さらにその周囲に施された黒のぼかしは、のびやかで美しい輪郭線を浮き上がらせる、不思議な視覚効果を生み出しています。