モードとアートの香水瓶―ポワレ、スキャパレッリ、ディオール
会期
2019年12月15日(日)-2020年4月5日(日) *会期中無休
会場
展示室4
協力
ポーラ文化研究所
フランスでは、ファッションデザイナーのポール・ポワレが1908年に創設した香水ブランド「ロジーヌ香水」を発端にオートクチュールメゾンが香水を販売しはじめ、1920年代には各メゾンの世界観を演出するために香りが重要な役割を担うようになりました。多くのメゾンが香りはもちろん、ボトルの形にも工夫を凝らし、時にはルネ・ラリックやシュルレアリストなど同時代の芸術家たちもその造形に携わります。
本展では、ポーラ美術館収蔵の、メゾンの世界観を表現した香水瓶から、芸術家たちが手がけた作品を中心にご紹介します。ラウル・デュフィとテキスタイルのデザインなどでコラボレーションしたポワレを起点とし、ダリをはじめとするシュルレアリスムのメンバーと親交を持ち、彼らの前衛的な表現をとり入れたエルザ・スキャパレッリ、そしてボトルデザインが定番として発表当時から現代まで続いているクリスチャン・ディオール等の香水瓶を展示します。ファッションの新たな表現媒体として発展した香水瓶とアートの出あいをひもときます。
第1章 オートクチュールメゾンによる香水のはじまりと発展
19世紀後半まで香水は、専門の香水メゾンによって販売されるものでした。しかし20世紀に入ると、オートクチュールメゾンがその世界観を表現する方法として香水を発表するようになります。本章では、現代でも人々を魅了しているオートクチュールメゾンによる香水の歴史のはじまりと発展をひもときます。また、ポワレを通してファッションとも関わりの深かったデュフィの作品もあわせてご紹介します。
ロジーヌ(ポール・ポワレ主宰)
《1925》 1925年
ロジーヌ(ポール・ポワレ主宰)
《1925》 1925年
ウォルト《ダン・ラ・ニュイ(夜中に)》
ルネ・ラリック 1924年原型制作
ウォルト《ダン・ラ・ニュイ(夜中に)》
ルネ・ラリック 1924年原型制作
ラウル・デュフィ 《ド-ヴィルの競馬場》
1935-1940年
ラウル・デュフィ 《ド-ヴィルの競馬場》
1935-1940年
第2章 20世紀における香水メゾンの戦略
19世紀まで上流階級の楽しみだった香水は、19世紀末に開発された合成香料により価格が抑えられ、香りの種類も豊富になったことで幅広く普及します。またボトルの素材も陶器からガラス製のものが一般的になり、技法を凝らしたボトルが制作されるようになりました。
本章ではゲランなどの老舗香水メゾンや、20世紀に登場したコティなど新興化粧品メーカーの香水瓶を展示し、より多くの人の手に渡ることを意図した香水メゾンの戦略をご紹介します。
L. T. ピヴェール《ミスティ》
ルネ・ラリック 1920年頃原型制作
L. T. ピヴェール《ミスティ》
ルネ・ラリック 1920年頃原型制作
コティ《パリ、クリスマス用》1940年頃
コティ《パリ、クリスマス用》1940年頃
第3章 モードとシュルレアリスムの出会い
文学から始まったシュルレアリスムの表現は、やがてモードの世界にも取り入れられます。中でもファッションデザイナーのエルザ・スキャパレッリはサルバドール・ダリやレオノール・フィニらシュルレアリストとのファッションや香水瓶のデザインの協働で話題を集めました。
本章ではシュルレアリスムと最も接近したデザイナーであるスキャパレッリの世界観を、香水瓶や商品カタログから見ていきます。
スキャパレッリ《ショッキング》バカラ社製
1937年
スキャパレッリ《ショッキング》バカラ社製
1937年
スキャパレッリ《スリーピング(眠り)》バカラ社製
1938年
スキャパレッリ《スリーピング(眠り)》バカラ社製
1938年
雑誌広告「スキャパレッリの香水―ショッキング、サリュ、スリーピング」
1940年代
雑誌広告「スキャパレッリの香水―ショッキング、サリュ、スリーピング」
1940年代
第4章 戦後から現代へ続く香水瓶
第二次世界大戦後、パリのモード界に勢いと輝きをもたらしたのが、クリスチャン・ディオールによる華やかなコレクションでした。花を愛したディオールによる香水は、発表当時から現代までほぼ同じ形の香水瓶で販売されています。
本章ではディオールに代表される戦後の香水瓶をご紹介するとともに、20世紀に発表され、現代でも変わらない形で親しまれている香水瓶をご紹介します。
クリスチャン・ディオール《ジオラマ》
1949年
クリスチャン・ディオール《ジオラマ》
1949年
ゲラン《青い時間》
1912年
ゲラン《青い時間》
1912年