ポーラ美術館の絵画 日本の洋画、西洋絵画
会期
2014年9月18日(木)-2015年3月29日(日)
会場
ポーラ美術館 展示室2
西洋絵画
ポーラ美術館の西洋絵画コレクションは、19世紀の印象派から20世紀の作品を核にしています。
19世紀後半に活躍した印象派の巨匠、モネとルノワール。モネは、近代化の進んだパリ近郊の賑やかな光景や、フランス各地の風光明媚な景観を描き出しました。一方でルノワールは、愛らしいモデルの特徴を鋭く捉えた華やかな女性像を得意としました。当時の革新的な技法であった印象派の鮮やかな色彩による表現は、このふたりの画家が陽光の降り注ぐなかで行った共同制作に端を発します。こうした光と色彩の探求をさらに推し進めたのが、ポスト印象派の画家たちであり、スーラの画業はその最たるものであると言えるでしょう。科学的な研究を重ねたスーラが辿りついたのは、細かな点描を用いた秩序ある画面でした。
20世紀初頭になると、芸術の都であったパリに、フランスの国外から若い芸術家たちが集います。ピカソは、1900年にパリを初めて訪れると、「青の時代」の傑作の数々を生み出します。その後、モディリアーニをはじめとするエコール・ド・パリの画家たちが、パリのモンマルトルやモンパルナスを拠点として、個性豊かな表現を模索しました。
日本の洋画
明治のはじめ、高橋由一や小山正太郎は、工部美術学校の教師として招かれたイタリアの画家アントニオ・フォンタネージの指導を受け、日本近代洋画の礎を築きました。その後、外光をとりいれた明るさ溢れる自由な作風で洋画に新しい展開をもたらしたのが、フランス留学から帰国した黒田清輝やフランス、イタリアで学んだ藤島武二です。彼らは美術団体「白馬会」を結成する一方で、後進の画家を育成し洋画の普及に尽力しました。
大正期にはいると、民主主義的な風潮を背景に、萬鐵五郎、岸田劉生らが国内外の芸術動向に触発されながら、個性を重んじた新たな表現を模索するようになります。大正末期から昭和初期、様々な前衛グループが離合集散を繰り返すなか、フォーヴィスムの流れをくむ「1930年協会」とそれに続く「独立美術協会」は、日本的油絵のひとつの指標を示しました。梅原龍三郎と安井曾太郎は、昭和の画壇に一時代を築いた画家です。両者は、西洋美術を日本の伝統に立脚した視点で解釈し、日本ならではの油彩画の制作を追究しました。