杉山寧は1909年(明治42)に東京の浅草に生まれ、1928年(昭和3)に東京美術学校日本画科に入学。圧倒的なデッサン力で頭角を現し、在学中に帝展(帝国美術院展覧会)で特選を受賞します。首席で卒業した後は、若い画家たちと瑠爽画社(るそうがしゃ)を結成し、新しい日本画の創造に励みつつ、日展への出品を続けました。
1960年(昭和35)以降、杉山の絵画は抽象表現へと傾いていきます。日本画で通常用いられる和紙や絹ではなく、洋画で使うカンヴァス(麻布)を支持体とし、岩絵具に細かい砂などを混ぜて、厚塗りのざらざらとした質感を追究しました。やがて杉山は、色面構成のように抽象的なモティーフを組み合わせた背景に、細密に描写した花鳥を配置する独自の画風を打ち立てます。抽象と写実を融合した二重構造による新たな作品世界は、「造形主義」と評されました。
1962年(昭和37)、杉山は初めての海外旅行に出かけ、エジプトおよびヨーロッパ各地をまわります。その後も中近東を好んで訪れ、ピラミッドやスフィンクス、民族衣装をまとった女性など、旅先で心打たれたモティーフを描いた作品を多く発表しました。
戦後の日本画に新しい領域を切り開き、1970年(昭和45)に日本芸術院会員、1974年(昭和49)には文化勲章を受章するなど数々の栄誉を受けた杉山寧は、1993年(平成5)に84歳で没しました。ポーラ美術館が収蔵する杉山寧の作品43点は、質・量ともに国内最大級のコレクションといえるでしょう。