「マルケは、このセーヌの眺めを描きたいばかりに、河岸のアパートを探して、そして生涯その窓からセーヌばかり描いていたんですよ」と、マルケ夫人は語ったという。事実、マルケはセーヌ河に架かるポン・ヌフや、セーヌ河の向こうに見えるパリの街並みを生涯にわたって描きつづけた。この作品が制作された1904年には、マルケは名画の模写をおこなうため、国立美術学校のモロー教室でともに学んだマティスやマンギャンと連れ立って、しばしばルーヴル美術館を訪れている。ルーヴルは、この時期のマルケにとって、もっとも馴染みの深い場所のひとつであった。そしてこの作品に描かれているのは、セーヌ右岸にある建物、おそらくルーヴル美術館のセーヌ河に面した部分から西方を眺めた冬のパリである。アンヴァリッドのドームの遥か彼方からは、やがて沈みゆく緑色の太陽が橙色の光線を放っている。その黄昏の陽光によって今にも融けだしてしまいそうな画面手前の並木は、画家が高い建物の上階の窓からこの作品を描いたことを暗示している。この窓からは、よく晴れた日には右方にエッフェル塔が見えたことが、同じ構図の作品《ルーヴル河岸》(1905年、フリダート財団蔵)からうかがえる。