パリ近郊に生まれたボナールは、大学に進み法律家を志すが、20歳の時本格的に絵筆をとり、画塾アカデミー・ジュリアン、次いで国立美術学校で学んだ。1888年、ゴーガンの絵画思想をもとに結成したグループ「ナビ派」(預言者の意)のメンバーに加わり、画家のセリュジエ、ヴュイヤール、ドニらと親交を結ぶ。浮世絵の色彩や構図に心酔したボナールは、「日本かぶれのナビ」と呼ばれ、ポスターや装飾美術において才能を発揮した。 ボナールは、都市生活者の行き交う路上の風景や家族のくつろいだ小景を、日常をともにする者の親密なまなざしで切り取っている。本作品は、伴侶マルトが体を洗う姿を描いており、ほぼ同じ構図で、画家自身がマルトを撮影した写真が現存している。最良のモデルでもあったマルトは、浴室で過ごす時をこよなく愛し、ボナールは繰り返しその姿をとどめようとした。 写真技術に影響を受けた画家は少なくないが、ボナールもそのひとりである。大気の変動のなかで茫洋とする輪郭線、バランスを欠いたポーズは、一瞬の動きをとらえているようである。画面右側から外光が差し込み、青い影がたゆたい、白と黄の光の斑紋が流動する情景は、ボナールの光に対する鋭敏な感覚を反映しており、モネの「睡蓮」の連作をはじめとする印象派の手法を、画家が吸収したことを物語っている。 「絵画は、ひとつの充足する小さな世界でなければならない」とボナールは語っている。最初の印象をすばやくとらえたデッサンや写真をもとに、画家はアトリエで油彩のタッチを丹念に重ね、光が満ちた世界へと収斂させた。