第二次大戦後、渡仏のためにフランス大使館にビザ(入国査証)を申請したがうまくいかず、日本に留まらざるをえなくなったフジタは、ひたすら新天地での生活を夢見ながら、《私の夢》(1947年、新潟県立近代美術館)と題した寓意的な裸婦像などを描いた。1946年(昭和21)、彼は戦前の滞仏時代の生活を懐かしみ、フランスの田舎にあるような家屋の模型を製作したが、本作品はその内部をそっくりそのまま描いたものである。天井に一定のリズムで配された化粧梁、天井から吊るされた円形ランプ、壁に取り付けられたマントルピース、壁に飾られた小さな額絵、かまどの上に並べられた鍋やアイロンなど、模型のあらゆる部品が画面に再現されている。この模型を撮影した写真は、フジタの回想録『巴里の昼と夜』に掲載されている。やや無機的な模型とは異なり、本作品にはフジタのフランスに対する強い愛着がにじみ出て、まるでそこに住人がいるかのような生活感が漂っている。1949年(昭和24)になってようやくビザを取得したフジタは、第二の故国フランスに向けて飛び立ち、以後日本に戻ることはなかった。