アングルはトゥールーズ市の装飾画家を父にモントーバンに生まれた。トゥールーズの美術学校で学んだ後、1797年パリのジャック=ルイ・ダヴィッドのアトリエに入門する。1801年にはローマ賞を獲得し、1806年から18年間ローマやフィレンツェに留学する。帰国した1824年サロン(官展)出品の 《ルイ13世の誓願》は絶讃され、ロマン主義の画家ウジェーヌ・ドラクロワの《キオス島の虐殺》(ルーヴル美術館)と対比されて、新古典主義者アングルの地位を確立した。1835年から41年までフランス・アカデミー院長としてローマに滞在する。ダヴィッドの大様式の新古典主義に対し、アングルは技巧的、主題的に柔軟性を持たせ、時代のロマン主義的な雰囲気のなかで、《泉》(オルセー美術館)、《トルコ風呂》(ルーヴル美術館)など、特異な誇張表現により官能性のある古典的理想を表現し、同時にすぐれた素描家でもあった。
本作品はアカデミー会員となった翌年の1826年、フランス政府より依頼を受けて制作された天井画の習作のひとつと考えられる。ルーヴル宮内に新設される九つの部屋からなる「シャルル10世美術館」の「第9の間」天井画として、アングルは《ホメロス礼讃》(1827年、ルーヴル美術館)を描いた。ギリシア風の神殿を背景に詩人ホメロスを称える古今の偉大な詩人、美術家、音楽家、哲学者、芸術の擁護者たち45人が彼を取り囲んでいる。ギリシア芸術を最高の規範とする新古典主義の考えを視覚化した作品であり、アングルの芸術的、精神的信仰の告白といえる。アングルはこの主題を以前から考案していたようだ。この作品には、 《黄金時代》とならんでもっとも多くの習作が残されており、部分素描習作はモントーバンのアングル美術館だけでも300点以上ある。本作品は35点ほどの油彩部分習作のひとつであり、描かれた人物は完成作にはない古代の司祭であるとも、また完成作にある古代ギリシアの叙情詩人ピンダロスの像ともいわれている。