ルドンは、生後すぐに預けられた叔父が住むボルドー北西の村ペイルルバードで孤独な少年時代を過ごした。15歳のとき、ドラクロワの熱心な信奉者スタニスラス・ゴランにデッサンを学び、ロマン主義の芸術観に触れた。1860年頃には植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、生命の神秘、哲学、文学に深い興味をもつようになる。画家を目指し1864年にパリに行き、アカデミー画家ジャン=レオン・ジェロームのアトリエに入るが数ヵ月で辞め、絶望して故郷に戻る。この頃、版画家ロドルフ・ブレスダンと出会い、版画ばかりでなく現実から生まれる夢想の世界を描くことを学ぶ。彼は死や奇怪な幻想を主題に白黒の版画作品を制作し、象徴派の詩人や文学者と交友した。また、1890年頃から油彩やパステルを用いて幻想的な花や人物、神話的世界をあざやかな色彩で描いた。
1900年以降、ルドンは花瓶に生けた花を繰り返し描いている。しかし、ルドンの描く花はどれも現実のものとはかけ離れている。彼にとって現実の花は、華麗な色彩の幻想を生み出すきっかけに過ぎなかった。花々の色彩は空間へと変貌していく。画面右にみられるあざやかな色彩の2羽の蝶は、自由に浮遊する花びらのようにもみえる。花瓶が置かれたテーブルは色面によってわずかに存在が暗示されているにすぎない。
ルドンはさまざまな花瓶を装飾的に描いているが、本作品にみられる日本風の花瓶は同時期に制作されたパステル画にも見受けられる。この花瓶は当時、多く出回っていたもののひとつと推測される。本作品に描かれた面の裏面には刀を構える若武者が描かれており、花瓶の図柄はおそらく「鬼と若武者」を題材にした日本の能、または歌舞伎の一場面であると考えられる。