12月2日(月)~13日(金)まで臨時休館いたします
トゥールーズ=ロートレックはフランス南西部アルビの名門貴族の息子として生まれた。1878年と79年に足を骨折し、下半身の成長が止まってしまう。画家を志したロートレックは1882年、肖像画家レオン・ボナのアトリエ、続いて歴史画家フェルナン・コルモンのアトリエに入り、修業に励んだ。1884年頃からロートレックはバーやキャバレー、ダンス・ホール、サーカスなどが建ち並ぶ歓楽街モンマルトルの一角に移り住み、夜の風俗、娼婦の生活を描くようになる。はじめは印象派の影響を受けた作品を制作していたが、コルモンのアトリエで出会ったゴッホに教えられた浮世絵の大胆な構図、輪郭線と平面による表現を取り入れ、独自の画風を打ち立てた。1886年に発表したポスター《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》は、ロートレックの名を不動のものにし、31点のポスターを制作している。 本作品は、ロートレックも通っていた当時人気のダンス・ホール、ムーラン・ド・ラ・ガレットの情景を描いたものである。彼はここで、色彩の線条を重ねた彼独特の手法を用いている。画面中央にみられる女性の姿は、《毛皮の娘、ジャンヌ・フォンテーヌ嬢》(1891年、個人蔵)と共通している。男たちの話の輪に入らず、体をかたくして立ち尽くす彼女の姿は、少々不自然な印象を受けるが、これはおそらく本作品がムーラン・ド・ラ・ガレットで描かれたものでなく、習作を参考にしてアトリエで制作されたことを示している。彼女の周囲にいる男性の容貌の特徴は、的確な線によって見事にとらえられている。この鋭い人間観察と描写力は、ロートレックが優れた人物画家であったことの明確な証となろう。