鹿児島県垂水市に生まれた和田英作は家族とともに4歳で上京した。1894年(明治27)にはフランス帰りの黒田清輝と久米桂一郎が開いた天真道場に入門する。和田は、黒田が持ち込んだ外光主義をごく早い時期に直接学んだ一人であった。1900年(明治33)には文部省留学生として渡仏し、パリでラファエル・コランに学ぶ。コランは黒田清輝が師事した画家で、優美な裸婦像を得意としたサロン画家であった。この留学時代には、アカデミックな描法を修得する一方で、パリ万国博覧会に《渡頭の夕暮》(東京藝術大学大学美術館)を出品して褒状を受けるなど活躍し充実した時を過ごした。
和田は、得意とした肖像画のほかに薔薇などの花をモティーフにした静物画をよく描き、また晩年になって静岡県清水市に転居してからは富士山を数多く描いた。本作品は、和田が好んで描いた薔薇のなかでも、とくに大型の作品である。たっぷりと活けられた大輪の薔薇の量感、明暗を強調した精緻な描写、画面に流れるような動きを与える布のドレープなどが、薔薇の華やかさをひきたてている。構図や緻密な描写は和田が学んだフランスのサロン絵画の趣を感じさせるが、それぞれのモティーフは東洋的である。布は絞りを施した日本風の文様であり、薔薇が活けられた甕も日本製の陶器のようだ。そして、忠実に形をとらえ陰影をはっきりとつける堅固な描写は、西洋の絵画技法を勉強し、迫真性を追求した明治の洋画家たちの気概を思い出させる。