あどけない表情の少女が、ほおづえをついてこちらを見つめている。少女の髪型は髷の不便さを解消するために提案された新しいスタイル「束髪」である。また、着物に宝飾品をつけるということも新しく、少女の赤いルビーの指輪から、おしゃれに敏感な暮らしぶりがうかがえる。 本作品と同じ構図で、やはり指輪が重要なモティーフとなっている《ダイヤモンドの女》(個人蔵)という肖像画があり、その石版画の複製が1908年(明治41)に『時事新報』に掲載されていたことが判明してから、この2点の作品の背景が浮かび上がってきた。岡田は、1907年(明治40)に時事新報社が主催となり開かれた日本初の美人コンテストの審査員をつとめており、その地方審査の一等には18金にルビーをあしらった指輪、全国一位にはダイヤモンドの指輪が送られたという。順位の差を明らかにするかのように、本作品の少女に比べ《ダイヤモンドの女》はより華やかで豪奢な身なりをしている。おそらく岡田の肖像画は、賞品の宝石の宣伝でもあり、美人コンテストへの応募をすすめる告知でもある新聞紙面の下絵を意識したものであったのだろう。