岐阜在住の有力者らとともに、「養老の滝」と「長良川の鵜飼漁」を主題とした納涼図を明治天皇・皇后に献納しようと企画した由一は、取材旅行のため1891年(明治24)7月6日、岐阜に向けて出発した。翌月11日には現地でのスケッチを携えて帰京し、のちに《長良川鵜飼図》と《養老瀑布》を完成させた。しかし、この年の10月28日に発生した濃尾大地震によって献納は延期となり、結局その企画を完遂することなく由一は3年後に66歳で他界した。後年、《長良川鵜飼図》だけは由一の嗣子、高橋(柳)源吉により帝室博物館(現在の東京国立博物館)に寄贈された。 本作品は、《長良川鵜飼図》とほぼ同寸法、同構図の油彩画であり、その完成の翌年に描かれているが、船や漁師の数、篝火による明るさの表現など、その趣は《長良川鵜飼図》とはいくぶん異なっており、模写ではなくおそらく現場でのスケッチをもとに由一本人があらたに制作したものであろう。力強く紐をたぐり寄せる漁師や水しぶきをあげる海鵜、水面に映りゆらめく炎などの細部描写には、由一独特のきめ細かさが感じられる。