カルーゼル広場は、テュイルリー宮殿とルーヴルに囲まれた中庭に位置していたが、1871年、パリ・コミューンの末期にテュイルリー宮殿が焼失した後、1889年に控えていた万博に向けて整備され、新たに生まれ変わった。画面の中景奥、およびその延長上に、カルーゼル門とエトワール広場の凱旋門がみえることから、本作品はルーヴル宮殿からテュイルリー公園に向かって描かれていることがわかる。「パリの歴史軸」といわれるこの真っ直ぐに開けた眺望を、マルケはおそらく現・ルーヴル美術館のシュリー翼の上階から目にしている。マルケは1905年以降、カルーゼル広場に程近い、グラン=ゾーギュスタン河岸やサン=ミシェル河岸など、セーヌ右岸にアトリエを構えていた。本作では、立ち並ぶ木々が緑の階調を作り出しつつ、地面にくっきりとした影を作り出しており、午後の強い光を浴びた庭園の様子が描き出されている。灰色の雲のたちこめる下、雨に濡れた広場を同じ位置から描いた類作も存在することから、マルケが移り行く光と大気の効果を特定の場所に即して見出そうとしていたことは明らかである。マルケは後年、リュクサンブール公園も描いており、色彩を巧みに駆使するこの画家にとって、緑豊かな都市の公園は好適なモティーフであったといえる。(『ボナールの庭、マティスの室内』図録、2009)