本作品は、鷹狩りに出かけた武士の一行が濁酒(どぶろく)で喉の渇きを癒そうと、黄葉の美しい村の酒屋に立寄る様子を描いている。手前からわずかに右手へと延びる道は、白馬にまたがる主人と思しき人物を起点として大きく左へとうねり、酒屋の娘と二人の家来のやりとりへと視線を誘(いざな)う。小山の風景画によく見られる、一点透視図法を用いて、樹木や家屋を配した道の上に点景人物を描きこむ「道路山水」という構図法の典型といえるが、小山の数少ない残存する油彩作品の中でも複雑な構図で動きが感じられる。 褐色調の色彩でまとめられた画面は、工部美術学校のアントニオ・フォンタネージに始まる「脂派(やには)」の作風を示しており、農村の湿った土の香りが伝わってくる。また、左手前から奥へと連なる木々の描写には高いデッサン力が活かされており、しっかりとした幹の線と緻密な葉の描写が効果的な対比を見せる。 1878年(明治11)に工部美術学校を退学した小山は、1889年(明治22)に同窓の浅井忠らとともに明治美術会を結成し、国粋主義による洋画排斥運動に対抗することとなる。本作品は、1890年(明治23)11月の明治美術会第2回展への出品作であり、同志らとともに再び洋画界を盛り立てようと奮闘する小山の、卓越した画技が感じられる代表作である。