マント家の人々

  • 作家名 エドガー・ドガ
  • 制作年 1879-1880年頃
  • 技法・素材 パステル/紙
  • サイズ 87.5 x 48.5 cm
ナポリとパリに拠点を置く裕福な銀行家の家庭に生まれ、最初法律を学んでいたドガは、画家を目指して国立美術学校に入学し、アングルの弟子ルイ・ラモートのもとで学んだ。はじめはルーヴル美術館での模写制作や、イタリア旅行で目にしたルネサンス絵画の影響を受けた歴史画などを制作していたが、1860年代末から都市風俗を主題とする作品を制作しはじめた。1874年の第1回印象派展開催には中心的な役割を果たし、計8回の印象派展のうち7回出品している。彼は劇場や競馬場、盛り場の光景、女性のヌード、踊り子などを、写真や日本の浮世絵に影響を受けた大胆で斬新な構図によって数多く描いた。 ドガは本作品で、1848年から1894年にオペラ座のオーケストラのコントラバス奏者をつとめ、写真家でもあったドガの友人ルイ=アメデ・マント(1826-1913)の家族を描いている。1857年に歌手と結婚したマントは7人の子どもをもうけ、シュザンヌ(1871-1959)、ルイーズ(1875年生)、ブランシュ(1877年生)の娘3人がバレエ学校に入学した。ドガは一時期、この一家の近くに住んでいた。 高い視点からとらえられた人物が縦長の画面に見事に配置されている。うつむいて身支度の世話をしてもらっているのは1878年、7歳でバレエ学校に入学したシュザンヌである。バレエ学校や舞台裏でよくみかける、母親が娘の世話をする光景を描いた本作品は、肖像画であり風俗画でもあるといえるだろう。画面左の街着の少女は妹ブランシュ、または華やかな踊り子姿に対比するように描かれた地味な街着姿のシュザンヌであるとの解釈もされている。 本作品の制作年は、パステルの描法の考察により1889年頃から1879-1880年頃との修正説が出されているが、モデルの年齢を考慮するとその可能性も考えられる。一方同じ場面を描いたフィラデルフィア美術館所蔵のヴァリアント(異作)の制作年は、1880年代後半と考えられている。