熊谷守一は、1900年(明治33)、東京美術学校西洋画科に入学し、黒田清輝、藤島武二らの指導を受けた。同期生には青木繁らがいた。美術学校卒業後、1909年(明治42)の第3回文部省美術展覧会に《ローソク》(1909年)を出品、褒状を受賞した。この暗闇でろうそくを持つ自画像は、当時の画学生に多大な感銘を与えた。1915年(大正4)からは二科会に参加、翌年の第3回二科展に《習作》《赤城の雪》の2点を出品し、会員に推挙された。戦後は、二紀会や清光会に参加して多くの作品を発表した。 熊谷は1932年(昭和7)、52歳で豊島区千早町へ転居してから97歳で亡くなるまで、スケッチに出かける時以外はほとんど外出せず、庭で虫や鳥、猫、植物など、身の回りの何気ないものを観察していたという。絵を描くことを前提とせず、ありのままの自然を観察する目は、尊敬すべき科学者の目であり、真の画家の目であった。本作品は、樹木の根元に腰を下ろした人物が、きび畑の近くで犬を散歩させている様子を描いた、ほのぼのとした雰囲気が漂う作品である。しかし、背景のあざやかな黄色と、朱で縁取られた形象の黒がせめぎあうことによって、画面には緊張感が保たれている。熊谷は、本作品にみられる描法を1950年代後半から行なうようになった。まず朱色で輪郭線を引き、それを残しながら塗り絵風に色面を塗り分けている。粘り気の強い絵具は画面に重厚感を与えているものの、同一方向にそろえられた筆致により、画面の簡朴さは高められている。