亡命先のアメリカから第二の故郷であるパリに戻ったシャガールの絵画には、1950年代初頭からのパリの記念碑的建造物がしばしば登場する。1941年にシャガールの生まれ故郷ヴィテブスクがナチス・ドイツ軍の侵略によって破壊されたため、シャガールのパリへの愛着が一層深化したのかもしれない。エッフェル塔、凱旋門のほか、オペラ座は、1964年に天井画を完成させてから、画家にとってもっとも大切なパリノランドマークとなっていた。 画家の描いたパリについて、シャガール研究家のフランツ・マイヤーは「内面の世界と外部の現実が出会う場所」と定義している。この首都の代表的な建造物にシャガールが興味を抱いた理由は、魅力的な名所を写すことではなく、異邦人である画家の夢や記憶のなかから紡ぎだされた物語を、温かく受け入れてくれる大都市パリの懐を必要としていたからに相違なかった。 シャガールは演劇やバレエに関わるほか、画商アンブロワーズ・ヴォラールからサーカスに招かれて以来、サーカスも題材に取り込んでいる。1967年には、その集大成として版画集『サーカス』を刊行した。本作品にも、バレエやサーカスのモティーフが、あざやかな色彩とともに交錯している。青色に塗られた男の頭を中心に、その胸に抱かれた花束を持つ女性、弦楽器を手に空中に舞い上がる音楽家、鳥、自分の頭部を放り投げる軽業師のしなやかな肢体が色彩の渦となってパリの灰色の空を旋回する。カンヴァスの左下で絵の中から観るものへと微笑を投げかける帽子の男は、シャガール自身であろう。オペラ座広場の華やかな界隈は、こうしたスペクタクルが繰り広げられるには絶好の大舞台を提供している。(『ドガ、ダリ、シャガールのバレエ』図録、2006)