1909年の夏、ピカソはバルセロナから西方へ200キロの小さな高地の村オルタ・デ・エブロ(現在の名称はオルタ・デ・サン・ジョアン)に、恋人のフェルナンド・オリヴィエと一緒に滞在しました。オルタは、ピカソが「私の知識はすべて、オルタの村で学びとった」とのちに語り、フェルナンドが「キュビスム誕生の地」と述べた場所です。オルタの雄大な自然に刺激を受けながら、ピカソは岩山の風景、集落の光景、静物、人物を対象に空間表現の課題に取り組みました。対象物をまず線描でいくつかの面に分解し、さらにそれぞれの面は黒、茶、灰色、緑などに限定した色彩のグラデーションで明暗を与え、画面全体の再構築を行っています。1906年以降、ピカソはアフリカとオセアニア、そして古代イベリア美術の影響の下で、数多くの男性像を制作していました。ピカソはオルタでも原始的な男性像をキュビスムの手法で力強く描きましたが、パリへ戻って以降は、もはや見られなくなりました。