ルオーは家具職人の息子として、パリ・コミューンの騒乱下に母親が避難していたラ・ヴィレット街で生まれる。母方の祖父はドーミエやクールベ、マネの版画の愛好家であった。パリ郊外の村であったベルヴィルで、市民戦争のあとの貧困と悲惨を体験したのち、1885年から装飾美術学校の夜間部に通いながらステンドグラス職人の徒弟として働き、その自然光に溶け合う色彩に心を打たれる。1892年に在籍していた国立美術学校で象徴派の画家ギュスターヴ・モローに師事する。 ルオーは「信仰の画家」として知られるが、その作品には聖書的世界を描いた作品のほかにも、サーカス、娼婦、裁判官を主題とした室内画や肖像画がある。これらの民衆を描いた作品も、画家の敬虔な信仰心の表われであるのか、彼自身の内的なイメージへと昇華された聖書的世界と同様に、哀感と慈しみの光に包まれている。 本作の聖書的風景は、幼いキリストが育ったナザレの地を、ルオーが想像して描いたものと考えられている。赤い屋根の家と木立、そして道を行く人々は、穏やかな生命の営みをしるしている。場面は木立により三つの異なる場面に区切られ、起伏の多い土地はキリストの歩む道の困難を暗示しているようである。 空や丘にはステンドグラスを思わせる深い青色が射し、夕暮れ時の東の空に輝く月は神秘的なほどに明るい。1940年代にルオーは青を主調として何層にも絵具を塗り重ねた作品を制作しているが、画面は色彩と光の微妙なニュアンスをより多く含むようになる。 大人と子どもが連れ立った夕暮れの風景は、画家が少年期を過ごしたベルヴィルの想い出を反映しているともいわれ、郷愁の想いに誘われる。ルオーは87歳で死去し、パリのサン=ジェルマン=デ=プレ教会で国葬が営まれた。