ラプラードは、本作品で描かれているヴェルサイユ宮殿の庭園を含め、パリのテュイルリー公園や、幾度となく訪れたイタリア・フィレンツェの庭園ヴィラ・デステなど、18世紀以前の古典主義庭園をモティーフとするほか、さまざまな庭園や戸外での団欒の光景を描いている。批評家のエドモン・ジャルーは1925年の著作で、ラプラードの主要なモティーフとして女性と庭園を挙げ、その点でこの画家を18世紀の人間であるとし、その描く庭に、現代では失われた「雅な宴」(fetes galantes)の詩情をもたらしていると指摘している。
18世紀の画家ヴァトーは、男女の愛の戯れや仮面の人物の現れる典雅な情景を、庭園や森を舞台に描き、「雅宴画」のジャンルを確立した。パリで絵画を学んだラプラードは、ヴァトーの作品に匂い立つような雅やかさを見出し、それを自らの主題に引き継いだ。本作品にみられるアルルカンやピエロは、その起源を16世紀後半のイタリアの仮面喜劇「コメディア・デラルテ」にもつが、ラプラードはそれらをヴァトーの作品にならって描いている。そこでは、鬱蒼と広がる緑の空間が暗い色彩によって描き出され、婦人たちとアルルカンの戯れをいっそう妖しげに映し出している。後年に挿絵を制作した、ポール・ヴェルレーヌの『艶なる宴』とジェラール・ド・ネルヴァルの『シルヴィ』もまた、「雅な宴」が描かれた文学作品である。
ラプラードの関心は庭園に限らず、パリのノートル=ダム大聖堂やパンテオン、シャルトルの大聖堂やブルゴーニュ地方のヴェズレーの聖堂など、フランスの中世の建造物にも向けられた。同じく20世紀前半に、自国に固有の主題を求めるフランス人画家たち、通称エコール・フランセーズの動きが生じるが、ラプラードはそれとはやや異なり、フランスの文化が近世より育んできた雅やかな情趣を、庭園を含めた記念碑的なモティーフに託して表現しようとしたといえる。
(『ボナールの庭、マティスの室内』図録、2009)