ルノワールが彫刻の制作に取り組み始めたのは、1913 年の夏、72 歳を迎える年のことです。リウマチが悪化し、車椅子での生活を余儀なくされていたルノワールは、画商のヴォラールから勧められた彫刻の制作に着手します。それは、彫刻家の手を借りてルノワールの着想を実現する、共同制作の試みでした。ルノワールはまず、かつて絵画に描いた「パリスの審判」の図像をもとに、彫刻の制作に取り組みました。その図像から展開して生み出されたのが、本作品です。広げた両手にヴェールをもつ安定した構造と、下半身を中心にそなわった豊かな量感は、ルノワールの裸体表現の特徴を示しています。