岐阜県恵那郡に生まれた前田青邨(本名:廉造)は、1901年(明治34)に上京し、歴史画家梶田半古の門で写生と古画模写に励んだ。1922年(大正11)、日本美術院から派遣され、ヨーロッパへ留学した青邨は、イタリア、フランス、イギリス等を訪れた。この滞在で彼がもっとも影響を受けたのが初期ルネサンスの画家ジョットとセザンヌであったといわれる。とくにセザンヌについては帰国後美術雑誌に評論を寄稿しているほどであり、その魅力を「対象の根底を深く洞察してその情緒におぼれなかった」ことであると述べている。この理知的な対象把握は、以来青邨の課題となった。
彼は大作の歴史画を得意としたが、同時に静物画も数多く描いている。画廊の企画展などにむけて描かれた小品ではあるが、さまざまな手法を試み、決して手を抜かない画家の誠実さが表われている。このような作品はおもに1950年代半ばから60年代にかけて描かれ、赤絵や白磁などの陶磁器に牡丹や薔薇あるいは果物や魚などを組み合わせ、画題とした。本作品もこういった静物画のひとつである。
赤絵の大きな壺に大輪の牡丹3輪が活けられている。陶器に絵付けされた朱赤と緑色が、花弁の赤と葉の緑と呼応して、華やかさを増している。そしてまた、どっしりとした壺の量感と牡丹の量感とが呼応し、画面いっぱいに活力をみなぎらせている。背景に点々と置かれた水玉模様は、残りの空間を効果的に埋める役割を果たしている。対象把握の簡潔さとあざやかな色彩対比から、本作品は、1950年代後半から現われた前衛的日本画家たちの動きを敏感に感じとった青邨が挑んだ、実験的な静物画といえるかもしれない。