杉山寧が抽象的な作品を制作したのは1957年(昭和32年)からと言われ、この後1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)の頃までまとまった抽象的作品を制作しています。当時、欧米から流入した抽象表現主義やアンフォルメル運動の動向に対して、杉山は真摯に反応し、こうした作品を制作しました。横長の画面に幾何学的な形態が配置された、この作品が描かれたのはその後半期にあたります。麻布を用いて彩色されたザラザラとした厚みを持つ画肌は、日本画というよりも油絵を思わせる堅牢さを特徴としています。 本作品を制作する前年の1961年(昭和36年)11月に、杉山は沖縄を旅行し、翌年の帰京後には榕樹(ようじゅ)と呼ばれるガジュマルや島々をイメージした抽象絵画を発表しました。また、この幾何学的な形が四方錐のピラミッドのようにも見えることから、杉山が憧れていた古代エジプトへの建造物も霊感源のひとつとして挙げられるかもしれません。