写生を重んじた古径の作品には、身近な花や果実を描いたものが多く、なかでも柿の実を好んでいたようである。本作品では、柿の木の一部分をクローズアップした構図で、枝は下方から上方に向かって伸び、よく色づきぽってりと実った柿の実は、ちょうど採り頃食べ頃といった趣である。柿の実に細かな傷を描きこむ写実性は、枝の肥痩や葉の照り、虫食いにまで至り、古径の力量を伝えている。浮かび上がるような柿の実の立体感は、迷いのない輪郭線によって背景と区切られているのだが、まるで溶け込むように存在感をなくす線描の妙には驚かされる。それは、古径の語る線描についての理念に即している。「線としていゝものは、画面に独立して、飛び離れた存在となつてゐるものではないと思ふ。画面に独立して目立つやうなのは、いゝ線ではないのではあるまいか。何んだかいゝ絵と称するものゝ線は、みんなそんな気がする。現はれたものゝ中へ総ての線が溶けこんでゐなければならないものではないか。」(小林古径「東洋画の線」『美術新論』8巻3号 1933年3月)
なお、本作品と類似した枝ぶりの柿の木を描いた作品に《火禾采》 (秋采/しゅうさい)(1934年、山種美術館蔵)があり、そこではより広範囲にわたって枝が描かれ、画面右下に竹穂垣(ルビ:たけほがき)が描きこまれ、庭の一角の風情を演出している。