12月2日(月)~13日(金)まで臨時休館いたします
大分市に生まれた高山辰雄は、1931年(昭和6)上京し、東京美術学校日本画科に入学した。主席で卒業した後は、同門の若手画家たちが結成した瑠爽画社に参加し、新しい日本画の創作をめざし活動したが、戦中は空襲で家を焼かれるなどして制作できない日々が続き、発表の機会にも恵まれず不遇のときを過ごした。ちょうどその頃友人にすすめられてポール・ゴーガンの伝記を読み、その自由な精神に感銘を受け、まもなくその影響から色彩あふれる装飾的な表現がみられるようになった。 戦後は日展への出品を重ね、画壇での地位を確立するのだが、この頃からさらに新たな表現を求めるようになっていく。たとえばそれは1950年代の作品にみられる上下相称の構図などである。この構図については、次のような経緯で発見されたといわれている。ある日、高山は貯水池に写生に出かけ、湖面に周囲の風景が映る光景を見て、新鮮な感動を覚えた。彼は自然が作り出した上下対称の形に新しい構図を発見したのである。この結果1956年(昭和31)の《沼》(日本芸術院)が描かれたが、本作品《游》もその系譜に連なるものであろう。 湖水にあそぶ一羽の鴨。じっとうつむくその姿が鏡像のように水面に映っている。水のゆらめきや、湖面に映る周囲の木々などが画面にゆったりとした流れをつくり、静かな時を感じさせる。また、群青と緑青の深い色あいは、差し入れられた黄や朱赤の効果とも相まって、月明かりのもとにいるかのような神秘的な空間を作り出している。