フランスの詩人、批評家、思想家のポール・ヴァレリー(1871-1945)が書き記した『ドガ・ダンス・デッサン』は、ドガの作品論であるばかりでなく、晩年のドガの様子やインタヴュー、ドガの言葉などが収録されており、ドガの芸術を語る上で重要な文献となっている。画商アンブロワーズ・ヴォラールは、ドガのパステルや木炭などによる踊り子や裸婦のデッサンを原画とした複製版画26点を、挿絵にして1936年に刊行した。 ヴァレリーがドガと初めて会ったのは、1893年から1894年頃、アンリ・ルアールの家であった。ドガとアンリ・ルアールはパリの名門ルイ・ル・グラン中学校の同級生であり、二人は普仏戦争の際に同じ砲兵隊に配属されて再会し、その後の長年にわたる交友が始まったという。機械関係の発明と工場の経営によって富を築いたルアールは、ミレー、コロー、ドーミエ、マネ、エル・グレコらの作品を収集していた絵画のコレクターであった。その後、ヴァレリーは、ドガのアトリエに出入りし、親交を深めた。 ヴァレリーは、ドガを論じる上での序として「舞踊に就いて」と題する章を設けているが、そのなかで「舞踊は一種の造形美術を構成するものである。即ち踊る快楽は踊るのを見る快楽を生ずる」と述べている。ドガの踊り子を主題とした絵画には、舞踊によって表現される人体の造形美をみつめるドガの眼差しが込められている。そのほか、ヴァレリーは舞踊に関して、1921年にプラトンの対話篇を模した「魂と舞踏」、そして1936年には、講演原稿の形式の「舞踊の哲学」という二つのエッセーを書いている。(『ドガ、ダリ、シャガールのバレエ』図録、2006)