イタリアのトスカーナ地方の由緒あるユダヤ系の家に生まれたモディリアーニは、ダンテやニーチェを愛読し早熟な青年時代を過ごす。1906年にパリへ移住し、モンパルナスの芸術家や詩人たちと親交を深めるが、やがて酒と麻薬に浸る退廃的な生活を送り、35歳の若さでこの世を去った。 パリのモンマルトルに到着したモディリアーニは、セザンヌとピカソの絵画の洗礼を受けた。その一方で彫刻にも情熱を抱き、彫刻家ブランクーシと出会い、彼のアトリエがあるモンパルナスに移り住んで彫刻に取り組む。1909年から1916年まで、アルカイック期のギリシア彫刻や、アフリカの仮面に影響を受けた作品を断続的に制作するが、貧困のうちに健康を害し、彫刻家の道を断念する。1916年にふたたび絵画に専念した画家は、鑿で切り出したような線描によって、モンパルナスの友人の肖像や裸婦像を残した。 本作品のモデルは、モディリアーニのよき理解者であった画商ズボロフスキーの友人、ルニア・チェホフスカである。ルニアはポーランドの名家の出身で、軍人の夫が戦場に出征した後、パリに滞在していた。モディリアーニの女性像のなかで、ルニアを描いた作品は妻ジャンヌ・エビュテルヌの肖像に次いで多く、画家の円熟期にルニアの存在が果した役割は大きい。 絵のなかのルニアは、ゆったりとした白の簡素なブラウスに、お気に入りのブローチを胸に着けている。結髪が豊かに膨らむ後頭部、引き伸ばされた首、憂鬱な青みを帯びるアーモンド型の目は、モディリアーニが描いた優美な女性像の特徴を余すところなく伝えている。壁には、深い青と緑が灰色を基調にして無数のニュアンスをみせており、すべての細部はモデルの繊細な人物描写へと結びついている。