シスレーは、1877-1879年にヴィル=ダヴレーに近い、パリの西約4Kmに位置するセーヴルに移り住む。この時期、シスレーは、経済恐慌の煽りを受けた画商デュラン=リュエルからの援助を打ち切られ、困窮した生活を送っていた。彼は、おもにセーヌ河畔の風景、ムードンやサン=クルーの穏やかな水辺の風景を描いていたが、この作品では、数人の人影が跨線橋を行き交い、その下を通る鉄道の線路を、汽車が煙を吐きながら通過していく様子をとらえている。近代化するパリ郊外の風景をとらえた本作品は、1877年の第3回印象派展に出品されたモネの「サン=ラザール駅」の連作に影響されたものと考えられる。(『モネと画家たちの旅』図録、2007)