ピカソは1900年10月、パリを初めて訪れ、親友の画家カサジェマスと共に、バルセロナの先輩画家ノネイがかつて住んだモンマルトルのアパートに、アトリエ兼住居として暮らし始めました。慣れないパリでの芸術家としてのスタートは、バルセロナ出身者の交友関係に全面的に支えられていました。この時期のピカソ作品の多くが、外国人芸術家が生活し、たむろするパリ北部の大衆的な街モンマルトルを舞台にしています。ピカソが住んだガブリエル通りは丘の中腹にあり、蛇行する坂道を進むとムーラン・ド・ラ・ガレットやカフェがある一帯へと辿り着きます。この坂道を行き交う人々や、街角で抱擁するカップル、また歓楽の場の暗がりで酔いしれる人物像に、ピカソは視線を注ぎました。モンマルトルの丘に特有の急な坂道を背景として活かし、バルセロナの粋な「モデルニスタ」(現代人)風の男性像を描いたこの作品は、パリにおけるスペイン人芸術家の交友記録の一つかもしれません。